2020年12月19日土曜日

プロフィール

国鉄(JRの前身)のブルーカラーの家に生まれたため、幼年期からのミッションが「貧困からの脱却」。小学3年から独学で大学受験勉強を始める。小4の頃、悲惨な浪人生活をつづった東大受験体験記を読み、不眠症に。以後、常に心ここにあらずの解離した精神状態になる。

中学時代、受験勉強の反省を日記をつけて叱咤激励、その成果で、高校入学式で新入生代表挨拶をしたが、他方、長年の受験勉強と極度の緊張生活のため入学直後から不眠症が深刻化、うつ症状に。その成れの果てに高校3年で暴発、担任教師とのバトル、問題児として退学を勧告される(おかげで国王ルイ16世を処刑したフランス革命の民衆の憤りを共有できた)。放り出されるように高校を卒業。二度と故郷に戻らない積りで上京、浪人生活。

浪人中の失恋という失意の中で大学生活がスタート。1週間で授業に失望、通学をやめ、下宿に引きこもる。3ヵ月後、「中原中也の詩に耽溺」という共通点から足立区鹿浜の都営団地の人たち(生活保護不正受給事件の刑事被告人の家族)と出会い団地に入り浸りとなる。以来、この団地が「私の大学」となる。団地で子どもたちと遊ぶサークル(セツルメント)を紹介され、参加。そのサークルでのちの運命を決める悪友どもにも出会う。

大学3年、司法試験を受験する悪友どもとつきあいを続けたい一心で、「あんなの、すぐ受かるさ」という悪友の甘言にまんまとだまされ、司法試験の受験勉強なるものに参加。悪友は直ちに合格。一方、「こんな答案は見たことがない」と合格者に酷評された私は毎年、不合格。その挙句、できちゃった結婚で生まれた息子が尻に火をつけ、火事場の馬鹿力の末辛うじて合格。20代全てを獄中生活のような受験勉強で棒に振った末、合格を手に入れた頃には私を悪の道に引きづり込んだ悪友どもはとっとと裁判官に任官し、私の前から消えていた。修習生当初、裁判官志望を思ったが、指導裁判官から「君は喋りすぎる」と嫌われ、事実上の任官拒否、誘惑されて捨てられた気分で、デモしか弁護士へ。

刑事修習のときの芸大裁判(被告人ヴァイオリニスト海野義男)の弁護人大野正男に「最も弁護士らしからぬ法律家」という好印象を抱き彼の事務所を応募するが、「君は裁判官に向いている」と不採用。何をやっても充実感がなく、毎日、三四郎の池で寝そべる生活を送るが、弁護士5年目、あこぎな稼業から足を洗おうと決意。その矢先、「大河ドラマの著作権裁判を手伝ってくれ」と或る偶然で突然の誘いを受け、「あの松坂慶子が主演のドラマなら」とフラフラとまた法曹界に逆走。

以後、著作権裁判一筋。その過程で、作品を創造するクリエーターがいかに不条理、劣悪な経済的地位に置かれているかを目の当たりにし、依頼者である大企業の傲慢不遜な態度と衝突、喧嘩が増大。
著作権専門弁護士5年目で事務所を店じまいし、ポケベルを胸に山手線で流しの弁護士をしながら数学を学ぶため大学に出入りするニセ学生となる。

米国とイラクの湾岸戦争の直後、ホームレス弁護士をしているイラク系米国人と知り合い、湾岸戦争の中で祖国と母国に国を引き裂かれた人間の苦悩を知り、日本の能天気ぶりと世界の激動とのコントラストを思い知らされる。数学に行き詰まり、日本に嫌気が差し、米国への移民を考え、数回、米国に渡るが、出会った米国弁護士にも劣らず嫌気を覚え、日本で在日日本人として生きることを決め、戻る。

その前後、作品の創造者であるクリエーターとして、ちばてつや、坂本龍一、鄭義信ら信念を持つ人たちと出会い、クリエーターがボッタリくりに合わずに済むような、著作権に関する新しい生産と流通のシステムの構築という課題を知り、協同組合運動へ参加(インディーズの出版社やフリースクールの設立など)。

他方で、80年代から国策とされ脚光を浴びた知財(知的財産権)の正体が知罪(知的犯罪)であることを知り、知的財産権擁護の弁護士から知的財産権反対の弁護士に転向。2005年、日本で最初の遺伝子組換えイネの野外実験が「人類の危機をもたらす新型病原菌の出現の可能性が高い」と実験の中止を求める禁断の科学裁判に参加。以来、生物災害防止の取り組みをライフワークにする。

2011年3月、放射能災害の問題が未解決であったことを思い知らされ、ライフワークを棚上げし、同年6月提訴の「ふくしま集団疎開裁判」に参加。チェルノブイリで5年半、甲状腺がん手術の医療ボランティアに従事した前松本市長の菅谷昭さんの「放射性物質との闘いは終らず、福島原発事故の被害は現在進行形である」を常々主張する彼の呼びかけで、2014年3月、松本市で福島からの子どもたちを受け入れる「まつもと子ども留学」事業がスタート、前年4月からこのプロジェクトに参加。

年間1ミリシーベルト以上の汚染地の市民に「移住の権利」を保障するチェルノブイリ法が日本でも必要であると、
市民主導で法律制定を実現する市民立法の方法でチェルノブイリ法日本版を実現しようと、2018年3月スタートした「市民が育てる『チェルノブイリ法日本版の会』に参加。

2015年11月22日日曜日

バスチアンの涙

ぼく、みんなまちがったことをしてしまった。

バスチアンは言った。

みんな、考え違いをしていたんです。月の子は、僕に沢山のものをくださったのに、僕はそれでもって、自分にもファンタージエンにも悪いことばっかりしてしまったんです。

 アイゥオーラおばさんはバスチアンを長いこと見つめていた。そして、言った。

いいえ、私はそうは思わない。これまであなたは『望みの道』を歩いてきたの。この道は決してまっすぐではないのよ。あなたも大きなまわり道をしたけれど、でもそれがほかでもないあなた自身の道だったのよ。……
 それで、あなたは、いのちの水の湧き出る泉さえ見つければ、人間世界に戻れるの。でも、そこはファンタージエン世界でも最も深く秘められた場所なのよ。だから、そこへゆく道は簡単ではないわ。

 そして、しばらく口をつぐんでいた。それからまた言葉をついだ。

でも、そこへ通じる道なら、どの道も結局、正しい道だったのよ

それを聞くと、いきなりバスチアンは激しく泣き出した。なぜだか、自分でも分からなかった。しかし、それは胸の中で固くなっていたわだかまりが解け、涙になって流れ出したような気持ちだった。すすりあげ、しゃくりあげ、あとからあとから、とめどもなく涙が流れた。アイゥオーラおばさんはバスチアンを膝に抱き上げ、やさしくやさしくなででくれた。バスチアンはおばさんの胸の花の中に顔を埋め、思う存分、泣いた。泣いて泣いて、泣きつかれるまで泣いた。

                                            (「はてしない物語」540頁)